ぼくらは生きている。生活はつづけなくてはならない


一度会っただけでほとんど言葉もかわしたことのない親しいわけでもないひとが亡くなったとき、まず考えたのは彼と親しかった僕の好きなひとのことで、彼女が大丈夫なのかだけが心配で、こんなときやっぱりどうしようもなく生きている人間が大事なのだと思った。


彼女はべつだん恋愛対象ではなくてへたをしたら友人でもないのだけど単純に好きだと思っていて、そういうひとがいまの僕にとってはかけがえない。


電話口の彼女は元気そうで、いやー○○ちゃんが死んでもね、それでも腹はすくしごはんはうまいんだといった。その言葉がとてもリアルで、こえらようとしたのに僕は泣いていて、なんでお前が泣くんだよって笑われて、かわりに泣いてます。といった。


彼女のなみだをぬぐうひとは他にいるから僕はただいっときまだ泣けない彼女のかわりになみだを流す。


お通夜のあと彼女は恋人に会いにいったし、僕は自分の生活に戻った。学校にいってバイトにいってご飯をつくって食べて洗濯してお風呂にはいって小説を書いて寝た。いつもどおりに。日常はつづいていく。ゆるがない。それはなんてやさしくて残酷なのだろうと思った。



死は絶対だ。ほんの少しすれちがっただけの人間にも影響をおよぼす。すくなからず。事故死でも病死でもなかった彼は、生きたがっていたのだと後日知った。最後まで生きたがっていたのだと知った。


僕はまだこの言葉の意味を考え続けている。考えながら、続いていく僕の日常を生きる。