あの夏。

 1999年、7月。

 世紀末。

 終わるはずだった世界に、僕たちは取り残された。



 彼はこう書いていた。結局は終わり損ねた世界、と。

 そこで、僕たちはこんなはずではなかったと思っている。考えている。どうやったら、あの世紀末をやり直せる? 



 もしうまくいけば僕たちは見ることがかなわなかった世界の終わりを見ることができるだろうか。
 行くことがかなわなかった、この世の果てに行き着けるだろうか。


 青臭くってどうしようもなく自己中心的で自己陶酔をしていて自分が特別な存在だとまだ信じることができたあのころ。世界と自分のあいだにはくっきりと線が引かれていると思っていた。



 もしもあの世紀末をもう一度やり直せるとしたら、君はどうしたい? 



 物心ついたころにはもうすり込みのように終末思想をメディアから浴び続けてきた僕たちが『世界の終わり』に思春期特有の不安定さと敏感さと繊細さであるわけがないと苦笑しつつもなにかしらの期待をしてしまったのは、きっと僕たちのせいだけじゃないと僕などは考える。



 もちろん僕は何百年も前の予言者だか預言者だかの詩を信じていたとは到底いえない。


 雨後の竹の子のように巷にあふれた関連書や研究書のたぐいを手にとってみても、どうやって笑いものにしてやろうかと考えていた。


 それはテレビの関連番組を観ても同じだった。ありえねー、とげらげら笑っていた。そうじゃなかった人間なんて、テレビにまで出て自説を力説していたノストラダムス研究者の人たちくらいだろうと思うのだが、彼らだって本当に本気で人類が滅亡するかも、なんて思っていたかはどうか定かではない。



 七月じゃなくて旧暦だと八月に恐怖の大王はくるんだとか、正体は人工衛星の墜落だとか。なんでもよかった。原因など。


 ──僕はただ、なにか、そうなにか特別なことが起こるのではないかと期待していた。



 なんといっても世紀末なのだ。
 これが終わると新世紀がきてしまうのだ。



 それは特別なことでなくてはならなかった。
 特別なことには普通でないイベントがセットでなくては気が済まなかった。



 そう考えたのは僕が思春期をやっと抜けたところで、しかも年齢のちかい彼らが自分より弱い者を傷つけたりナイフを文字通り場違いな学舎にて行使したり実行可能かどうかわからない犯行予告をネットの掲示板に書き込んだりすることで『特別な存在』である自分を世界に向かって必死に誇示していた時代だったために。



 僕は最近、高校の同級生だった人物から手紙を受け取った。



 その手紙はふつうの茶封筒にはいっていたのだが、分厚すぎて超過料金をとられた。手紙は青いボールペンで四百字詰め原稿用紙に汚い字で書かれていた。



 まず、あまり親しくもなく共通点といえば何度か図書室で会って好きな本の話をしたことがあるというだけの僕にこんな手紙を送ることを許してほしいという書き出しではじまり、大学に一浪して進んだんだけどなんか行けなくなっちゃって今はよーするに半ひきこもりみたいなことをしてますー、というようなことが茶化した、それゆえに痛々しく見える文章でつづられていた。



 そのあと彼の手紙は突然こんなことをいって君はとまどうかもしれないから、先に謝っておきますごめんなさい、そう前置きしたあとで前半よりはいくぶんシリアスな調子でこのように続く。




『もう僕の思春期は──自分が世界を変えられる特別な存在だと信じ込むのに必死になっていた時期は、どうやら、いつの間にか、終わってしまったようです。



 そのことに気づかないふりをすることすら、当たり前ですが、もうできないようです。



 僕が十二歳のとき、某カルト団体が地下鉄に細菌兵器を撒き、その首謀者が逮捕される瞬間を、僕は、小学校の教室のテレビで観ていました。



 僕が十四歳だったころ――君もほぼリアルタイムで観てたといってたよね? あのアニメが社会現象にまでなり、僕もまたご多分に漏れず気弱な主人公や包帯少女に自分の姿を重ねていました。



 十七歳の1999年、グランドクロス、小さいころから刷り込みのように聞かされてきて、信じてはいなかったけれど、どこかで望んでいた世界の終末は、やっぱりきませんでした。



 1983年生まれである僕は、神戸の中学生やバスジャックを行った少年とほぼ同じ年です。


 これは、おそらく同じ年齢で同じ事件や社会現象を体験してきた、ということです。



 終末思想を、メディアから、エンターテイメント作品から、垂れ流しのように浴びてきた僕たちです。



 何かをしなければ、と焦り、何かが起こる、と期待し、世界を変えられると信じ、『特別』であるはずの自分の存在を皆に知らしめなくてはならない、世の中に認められたいと切望しながら、やはりそこは子供なので有効な手段をもたなかった僕です。



 神戸の中学生やバスジャック少年の行為をあくまで否定しながらも、なんとなく気持ちが分かる……と思うのはそのせいです、きっと。



 僕はまだ輝かしいはずの新世紀にとまどっています。こんなはずじゃなかった、と、どこかで思っています。



 終わるはずだった世界、終わらなかった世界、結局は終わり損ねた世界、そこで思春期を過ごし、十七歳で世界の終末をむかえるはずだった僕は、リセットに失敗した僕は、二十三歳になった今でもなにをすべきなのか、正直、よく分からないままです。



 なんとなく中途半端なまま、自分のなかで区切りをつけられずに、それでけっこう過ごしてきたので、いい加減そろそろ飽きてきたくらいに、もうなんか自分でもわけがわからないです。ダメダメです。



 せめて完全なひきこもりにはならないように心がけていますが、紙一重とゆうか症状は一進一退です。季節の変わり目には必ず鬱になります。



 でも犯罪者にはなりません。
 そんな行動力は、僕にはありません。とゆうか犯罪を犯すくらいだったら迷うことなくひきこもりを選びます。全然、自慢になっていませんが。



 こんな──裏切られたような、置いてきぼりを食わされたような感覚は僕だけのものでしょうか? 他の同年代のみなさんも多かれ少なかれ感じていることなのでしょうか? 



 今は、ちょっとだけ、それを知りたいと思います』。



 ──ここで唐突に手紙は終わる。



 彼がたいして親しくもなかった僕に対して具体的にはなにを訴えたかったのかは、正直いってよくわからなかった。



 最後のほうの文章だって疑問形になっていたものの、君はどう思う? といった積極的な問いかけではない。



 しかし彼が抱える漠然とした不安、おそらくはそれが理由で半分ひきこもりになってしまったその不安は、表現の違いはあっても僕も同じように持っているもので、それゆえに、僕は彼の手紙に共感できたし、めずらしくも返事をだそうと便せんと封筒を買いに行ったりもした。



 ──けれど僕は結局、彼に返事を出さなかった。


 
 彼の手紙を僕が受け取ってから三日後、彼が逮捕され、そのニュースは昔からの友人の情報網をあっという間にめぐり、僕のところにも届けられ、僕はめでたくもめでたくなくも拘置所の面会室の仕切りごしに彼と再会できたからである。



 ……犯罪者になるくらいだったら迷うことなくひきこもりを選びます――じゃなかったのかよ、と僕がうんざりした気分をかくさずにいうと、彼は顔をゆがめて、うんうん、とうなずいた。



 なにがうんうんだ、アホかお前。
 

 僕は一発殴ろうかと思いついたが、半泣きで鼻水をすすっている元・同級生(23歳・無職)があまりにも情けなく感じられて、やめにした。



 こいつと熱い友情をむすぶためには拳をふるったほうがよかったのかもしれないが、僕はそもそもこの男と友達になりたいなどと思ったことは一度もない。



 ましてや、電車内で小学生に痴漢行為をしようとして未遂に終わっただけでなく彼女と彼女の友達数人(全員、女の子だ)に撃退され、逃げようとしたところを押さえつけられ電車から引きずり降ろされて駅員に「このおじさん、痴漢です」と突き出された、そんなやつはたとえそれまで友人であっても速効で絶交だ。



 怒るよりも、しみじみと呆れた。



「やってたよ今朝、ワイドショーでさ」


 僕がため息をつくと、彼は小さくなろうとしているのか肩をすぼめた。そのまま貧乏揺すりをはじめたので僕はひどく苛ついて、やっぱりこいつ殴るしかないかなとか考える。



「情けないよな。ありえねーよ。相手何年生だって? 四年生? 五年生だっけ? 痴漢しようとする行為がまずそもそもありえないし。しかもさぁ、なんでそのあとボコられてるわけ? 相手何人よ。四人だろ、たった四人。しかも小学生で女の子なんだろ? なにがどうしたら十歳かそこらの女の子たちに押さえつけられてさ、警察に引き渡されちゃうんだよ。お前、ほんっとにありえねーよ――バカ」



 できる限り言葉の暴力ですまそうと思った僕はとりあえず語尾にバカ、と付け加えてみた。すると彼はう、く、く、く、と下を向いて肩を震わせうめきはじめた。



「なに笑ってんだよ、気持ち悪いんだよ」



 バカ。もう一度いうと彼は顔をあげ、



「笑って――笑って、るん、じゃないよ」



 とぎれとぎれにいう彼の目には涙が光っていた、なんてきれいな表現ではまちがっていて、涙と鼻水が同じくらいの量で、頭に血がのぼっているのか赤くなり毛穴が開いたにきびのあとがのこる顔面の皮膚をだらだら流れている。



 ぎょろっとした大きな目は充血していて、髪の毛はぼさぼさで、彼がここ数日味わってきた苦節を物語っているが、僕にはただ汚いから風呂入ってこいよお前くらいの感想しかもたらさなかった。唯一、ひげは剃っていたのが救いだ。
 
 剃り跡は汚かったが。



★青臭いのだとこんなのも。